「……っの、守銭奴! 人の足元見やがって!!」

店内に修道士の、しかも自分の連れの甲高い怒鳴り声が響いた瞬間、
キルキシュ=クートは軽く人生を後悔した。
慌てて声の元へと向かう。これほどまでにカートが邪魔だと思ったのは初めてだ。

「スルア! あんた何やって……!?」

なんとか人ごみを掻き分けて見つけた目当ての人物は、
噛みつかんばかりに店主と舌戦を繰り広げている真っ最中。
思わず自分の額に指を当てる。頭痛がした。
何故あんたはアコライトなんぞになったんだとその肩を叩けば、
下手なモンスターより殺意のこもった目で睨まれる。
モンクになるつもりは全く無いらしいが……殴りプリにでもなりたいのだろうか。
大聖堂で説教をする姿も、回復や支援を行う姿も、
奉仕活動に勤しむ姿すら、一切想像が出来ないのだが。

「聞けよキルキシュ!このオッサン、お前が売るよりも安く買い叩きやがった!」

喚くスルアの頭を引っ掴んで下げさせ、自分も店主に頭を下げ、
二度とこのバカを首都に入れるまいと誓う。
社会勉強にと思って連れて来たものの、こんな喧嘩っ早い生命体、
ド田舎にでも隔離しておかなければ安心して息も吐けない。
大体、商人と修道士の区別もつかない奴に、
雑貨屋とはいえ店と名のつく場所に連れてきたのが
そもそもの間違いの始まりで、しかも数秒とはいえ、
店内で目を離したのが間違いの極みだった。
下手な子どもよりも手がかかる……
これでも一応は聖職者だというのだから始末が悪い。
謝ったのは良いもののさすがに恥ずかしくなって、
スルアの手を引き、転がり出るように店を出る。
そういえば、ともう一人のバカの顔を思い出す。
あの時間感覚のおかしい弓手は、今現在どこでくたばっているのだろうか。
倉庫からカッターが消えていたから、狩りだとは思うが……
せめて弓矢くらい持って行ってほしい。
進言すれば、「矢代がもったいない」と返されてしまうのだけれども。
一本あたり2、3z。一度の狩りに必要な本数は、最低でも二千本。
たかがそれだけの金すらまともに捻り出せない状況を考えれば、
それ以上は何も言えない。
弓手にとって弓を持てないことほど、屈辱的なこともあるまいに。
否、と首を振るって歩みを進める。
考えごとをして歩くとロクなことが無い。
それはたしかに正しかった。
私は、握った手のひらの先で、空いた手を懐に入れつつ
首をかしげるスルアに気づけなかったのだから。



「あー、またやった……」

かなり高いところから光を投げかけてくる太陽を、目を細めつつ眺める。
薄汚れてはいるものの、かろうじて青色を残した服を軽く叩き、ゆっくりと身を起こした。
水筒の栓を抜いて、中身を一口含む。
体温とほぼ同じの生温さを伴った水がひっかかりながら喉奥へ落ちていく。
昼は狩りに夢中になっていて、夜になったら疲労で
帰る気も失せていて……気がつけば野宿五日目だ。

「さすがに……帰るかな」

腰に差していたカッターを抜き、指先でくるくると回してみる。
獣の脂や草木の汁で白く曇った刃は何箇所も歯こぼれしており、
柄と刃を留める目釘も歪んでしまっていた。
時間をかければ自力で直せる程度の損傷とはいえ、
このまま使い続ければ間違いなく折れるだろう。
それに、そろそろ顔を見せておかないと、
死んだと勘違いした連中に土饅頭を盛られてしまいそうな気がする。
せめて連絡くらいしておこうと、枕代わりにしていたはずの
荷物入れを見もせずにまさぐれば、なんだか手のひらがちくちく痛い。
草かと思ったが、それにしては生温い温度。
しかもゆっくりと上下に動いている。
不審に思って目をやれば、ウルフが一匹、腹を上にして眠っていた。
人間と思われてないのか、長居しすぎて仲間とでも思われたか。
いずれにしても、あまり嬉しくはない。
人の匂いに戻ってやると心の中で誓いつつ、柔らかい腹をぐりぐりとなでる。
わずかに喉を鳴らしただけで惰眠を貪り続ける野生動物に、
ちょっとは警戒してくれと本気で泣きたくなった。



スルアではない、人の気配。
草原と砂漠との境界線にさしかかったところで、ふと後ろを振り返る。
しかし、そこには草原があるばかり。

首都の城壁と臨時公平待ちの穏やかな喧騒が、遠くでぼんやりと存在を示している。

「キルキシュ、どうした?」

訝しげなスルアの視線すら、目を向けずとも分かる。
それだけ神経が張り詰めているのに、誰も見えない。
しかし、気配は三つ。内の二つはハナから
隠れるつもりも無いらしく、場所まで分かる。
しかし、残りをどうするか。
少し考えてから、なんとなくの見当をつけて、
足元の砂をざっと爪先で横薙ぎに払う。
舞い上がった砂埃の中から、げふげふ咳き込む人影が浮かび上がった。

「うっわ、普通気付くか? 自分、アチャにでも転職した方がええんちゃう?」

どうしてこんな所に暗殺者が隠れてるんだろう。

私もスルアも、誰かに命を狙われるほどの悪事をしたことはないはずだが。
まして、敵に追われて仕方なく、という訳でもあるまい。
武器を触ったこともないような奴でも、普通に通れる場所だ。
砂塵が徐々におさまっていき、アサシンが完全に姿を見せたところで
残りの二人もダルそうに出てきた。

「ハンターにプリースト、ですか……気付きませんでしたよ。
 私などより、むしろそちらの方々に転職をおすすめしますね」
「追い討ち!? 何気に酷いなアンタ!」

テンポ良く返ってきた反論に、さらに二、三個皮肉をかぶせようと口を開く。

初対面? 遠慮?

いきなり人の背後に潜むようなストーカーに人権が存在するだろうか。
いや存在するはずがない。
と、言葉が飛び出す寸前に、別の方向からさらにえげつない発言が飛んできた。

「オメーが未熟だからだろ」
「おまけに弱小、短小、矮小」
「みたんか?!お前見た事あんのか?!!」

これは聞いている方が楽しそうだ。
穏やかに見えると評判の笑顔を浮かべながら、私はスルアの耳を両手で塞ぐ。
ぎりぎりセーフのような気もするが、教育上不適切な意味合いを含む発言に
万が一にもスルアが反応したら対処に困る。
当然、スルアはいきなり何しやがると暴れ始めるが、
一度手を放して首根を掴むとおとなしくなった。
ついでに耳元で「あんたは聞いちゃダメ」と囁けば、
何故か完全に戦意喪失してくれる。

「ユザサならわかるよな?! 俺ちゃうよな?!」

……ユザサ?

聞き覚えのある名、耳に馴染んだ名。
追想の中の藤色の髪と、今目の前に立つハンターが同一人物なのだとすれば、
世界は驚くほどに小さく狭いらしい。
そのユザサと呼ばれたハンターはとてつもなく嫌そうに顔をしかめると、
そのままの表情でアサシンを怒鳴りつけた。

「なんで俺がお前の汚名はらすのに恥かかなきゃなんねえんだ!!
 いいじゃねえか短小だろうが早漏だろうが!」
「そうろ?!!」

アサシンの絶叫と同時だった。
じっとしているのに飽きたスルアが首を振るって、私の手から逃れたのは。
短気だせっかちだとは常々思っていたが、
ここまで忍耐力が存在しないとは思わなかった。
しかも黙っていれば良いものを、勢いのままに振り返ったスルアは、
好奇心丸出しの顔で問いかける。

「キルキシュ、そーろーってなんだ?」

手遅れ。
そう判断を下した瞬間、私の右手はバトルアックスの柄を握りしめ、
幅広の面をスルアの頭頂部に叩きつけた。
なす術もなく砂地にぶっ倒れる身体を拾い上げ、カートに放り込む。
ふと喧騒が止んでいることに気づいて視線をやれば、
青ざめた一人と、薄笑いを浮かべた一人と、眉をひそめた一人の顔。

「あ、どうぞお続けになってくださいね。こちらの生ゴミにはお構いなく」

さすがに居心地が悪くなって、カートを背後に隠してみた。 はみ出した足はどうしようもないが。

「……なぁヒナギ、なんやお前と似たよーなニオイすんねんけど……お前の子とちゃうん?」
「人聞きの悪い。大体、俺が何歳の時の子だ」

少し年上かな、くらいのプリーストが、私の父親疑惑をかけられている。
新しく出来たパパですねー、とでも笑顔で言った方が良いのだろうか。
とてつもなく嫌な方向に聞こえるのだが。
ようやく興ざめしてくれたらしい砂まみれのアサシンが、
思い出したように手で握っていた物を突き出してくる。
眼前に示されたのは、小さなボロボロの布袋。
どこか見覚えがあると思ったら、端の方に歪んだ字で小さく
「スルア=クライン」と刺繍してあった。

「ほれ、財布忘れとったで」

驚かなかったと言えば嘘になる。
軽い軽い、中身も入ってなさそうな小袋一つを、
わざわざ追いかけて返しに来るなんて物好き、見たことがない。
後ろで気絶しているスルアに代わって「ありがとうございます」と言った。
そういえば、誰かに礼なんか言ったのは、ずいぶん久しぶりのような気がする。

「にしても……なぁ、失礼やとは思うねんけど……」

言い淀むアサシンの視線の先を辿って、苦笑した。

「『ほんまに中身入ってるんか?』、ですか?」
「失礼通り越して無礼だろうが。
 女どころか人間種族そのものから嫌われてもおかしくないな」
「お前に言われたないわこの糞プリ! やって、気になるやろ!」

たとえ遠慮して言わないのが礼儀だとしても、
本来それが普通で当然の反応だろう。
その正直な心根に敬意を表し、こちらも正直に答える。
「15zくらいですからね。中身」

子どもの小遣いにしたって、もうちょっとマシな金額だ。
実際スルアの小遣いなのだが、この袋に30z以上が入った例は無い。

「もしかして、俺ら無駄足やったん……?」
「いえ、助かりました。ほんっと今月苦しくて」
「生活費!?」

まさか、と笑って否定する。
さすがにこれだけでは食べていけない。
改めておよその月収を打ち明ければ、空気が凍りついた。
しまった、最高額を言うべきだったか。
首都の人達の生活水準が、そんなに高いとは思わなかった。

「レジュ……うちの稼ぎ頭がそろそろ帰ってくるはずなので、
 大丈夫デすヨ?タブン?」
「声裏返ってんでー」

今月どころか日常的にギリギリの生活なのだとも言えず、
頼みのレジュは基本的に生死不明。
人生綱渡りどころか、アルゴスの糸を渡っている気分。
渡ろうと決めた場所そのものを、すでに間違えている。
それでもいいかと思えるようになったのは、
精神だけが先に老成したからなのだろうか。
それはそれでなんだか哀しい。
空を見上げる。頂点にさしかかった太陽に、少しばかり焦りを覚えた。

「そんで、今から砂漠越えか?日ぃ暮れんだろ」
「フェイヨンですし、のんびり行きますよ」

夜の森は慣れているが、夜の砂漠が苦手だ。
端を掠めるだけとはいえ、あまり長居したくなくて、
三人に一礼してカートを回す。
車輪を軋ませたところで、一歩前の地面が淡く光を放っていることに気づいた。
ポータルだと認識して、ぎくりと足を止めた瞬間、
風すら伴った白光が、地面に渦を描きつつ噴き上がる。
背後のヒナギを振り返った。
彼の指で軽く打たれた煙草から、長く残っていた灰が落ちていく。
風に煽られて宙で砕け、見えなくなる。
顎で行けと示され、僅かに戸惑った。
どこに放り出されてもおかしくないのに、入っても大丈夫なものか。

「何企んどんねん……」
「別に何も?」

アサシンの言葉にますます募る不信感。
敵意すら込めて探り見ても、ヒナギからは飄々とした空気しか伝わってこない。
乗れと再度促され、私は斧を手にしてから光の輪の中に飛び込んだ。
歪む景色。独特の浮遊感と、無数の腕に引き寄せられるような引力。
人生二度目の空間移動は、僅かな目眩と吐き気を伴って、
それでも見慣れた濃緑の村へと到着した。
ほっと小さく息を吐き、武器をしまう。

「期待に答えて、古城にでも送った方が良かったか?」
「謹んでご遠慮いたします。
 貴方のような殿方に寝姿を見られるなど、恥ずかしくて」

背後から三つの気配とヒナギの声が追ってくるのは、まだ予想の範疇内。
振り向きもせずに答える。一瞬でも怯えたのを、悟られたくはなかった……
このプリーストには、特に。

「そちらの御用が終わりましたら、声を。お茶くらい出しますよ」

心の奥底が見えないように見せないように、
柔らかな笑みだけ向けてから、私はからりと車輪を回す。



持てる限界まで膨れ上がった大袋を引きずりながら、
久しぶりにフェイヨンの門をくぐる。
どことなく騒がしいのは気のせいか。
特におばちゃん連中の口が軽くなってるようで、
集団の隙間を走り回る人の姿も目立つ。
いつからフェイヨンはこんなに賑やかになったのだろう。
たった四日空けただけで、ウラシマ気分を味わうとは思わなかった。
崖に打ちつけられた丸太の列を、そろそろ折れるんじゃないかと、
おっかなびっくり上っていく。
その先にある小屋まで、なんだか今日は浮かれて見えた。
本当に何なんだ。

「ただいま……って、なんか増えてない?
 アサシンとハンターとプリーストの幻覚?」

からりと戸を引いて中を覗き込む。
ひどくリアルな幻が鎮座していた。全
員二次職でしかも全員男。あるはずのない光景に目眩がする。
あれか、過労か。

何がどうなってこういう状況になっているのか、
説明してくれそうな商人は何処に消えた?
予想しうる状況としては……キルキシュが極貧生活に耐えかねて家出、
差し押さえられた家をどっかのギルドが買い取った、か?
嫌な妄想をしてしまった。
現実味を帯びすぎてて怖い。
首を打ち振っても消えない幻覚に、ようやくこれは現実なのだと理解する。
まずは身内に声をかけてみた。
事情を知っている知らない以前の問題として、
まともな答えが返ってくるとも思えなかったが。

「スルア。彼らは客人か、
 それともついに私らは追い出されることになったのか」

愚かな修道士は笑顔で答える。

「ヒナギとスガメとユザサ! お財布拾ってくれた!」

人を指差すな。しかも客人で恩人だろうが。
ついでに財布も気軽に落とすな。
うちの経済状況を知らないわけでもあるまいに。
とりあえず地上げ屋やらマル暴の類の方々ではないらしいと判断し、
知らない三人に向き直る。
順々に見渡して……途端に、疲労で鈍った神経が一気に鋭さを取り戻す。
瞳孔が狭まり、その人物を明確に認識した。
ずっと逢いたくて、けれど会いたくなかった相手。

「あー……悪いな、お客様方。
 この格好でご挨拶、ってわけにもいかないしさ。
 先にお湯、使わせてくれな?」

返事があったのか無かったのかも確かめないまま、
袋だけを中に残して飛び出した。
裏に据えた釜まで走り、水と火を入れて、ずるずるとその場にへたり込む。
心臓がむちゃくちゃな速度で鼓動を刻んでいる。
胸を破壊するつもりかと問い質したくなるほどに。
薪を数本まとめて火中に放り込みながら、今日の街の浮かれ具合にも納得した。
平静な顔を、していられただろうか。

「ユザサさんかよ……っ!!」

なんでこんなあばら家に、とか、
なんでよりにもよって今日、とか。
疑問符ばかり頭を埋めていく。
神がいるなら、天から引き摺り下ろして刺してやる。
弓を持たなくなった弓手に一体なんの嫌がらせですか、ド畜生。



帰ってくると、ちょうど狩場から戻っていたらしい弓手が、
家の裏にうずくまっていた。
ああ中の人たちと顔を合わせたんだろうなと予想して、わずかに同情する。
連れて来た私が言うのもなんだが。
私にとっては商人を志した時点でただの隣人となったが、
最後まで弓手として後追いを続けようとしたレジュにとっては、
今でも彼は崇敬と憧憬の対象であろう。
そんな相手に、弓の一つも持っていない姿など、見られたくなかったはずだ。
下手な同情は侮蔑と同じだと、とりあえず替えの服だけ
彼女の傍に置いておき、中に入る。
まずスルアが元気そうに跳ね回っていることにほっとした。
打ちどころが悪かったかもしれないかなと多少は危惧していたので。
客人、主にアサシンに犬のごとくまとわりついているのには見ないふりをする。
スルアの倫理観は未だによく分かっていないのだが、
恩人を殴打するほど危険思想家ではなかったらしい。
彼の膝に乗り上げて珍しかったらしい服をひん剥こうとしていたようだが、
どこで失敗したのか、巻き布に絡まってもがいていた。
行動としては非常に怪しいのに色気の欠片も感じられないのは、
当事者の片割れ、好戦的修道士のせいだろうか。
私に気づいたらしいアサシンが、スルアに絡まった布を
律儀にも解いていた手を止めて、「あんたか」と軽い声を上げる。

「さっき会うてんけど、稼ぎ頭って、旦那やなかったんやな」
「その理論でいくと、誰が既婚で子持ちになるんです?
 ちなみに私は未成年ですがそれを踏まえて何か言うことはありますか?」

一瞬、スルアを引き剥がしてさしあげようかとも思ったが、
放っておくことに決めた。
暴れているわけでも詰め寄ってるわけでもないので、特に害は無いだろう。

「いやいやいやいや何も言うとらんって! ほんまアンタ怖いわ……」
「あら、二次職の方に恐れられるとは。まだ私も捨てたもんじゃないですね」

将来性ありますか? と微笑んで首を傾げてみせれば、
引きつった笑みと二組の喉奥が鳴る音とが返ってきた。
机の上に並べられた湯呑から、湯気が三筋、
とぼけたように揺らぎながら立ち上っている。



湯に浸して軽く絞った布を身体に押し付け、ゆっくりと汚れを拭っていく。
首筋から胸を通って腹へと。
一度皮膚に滑らせたら折り目を変えて、全面を使い切ったら布を濯いで。
何度も繰り返せば、私はゆるやかに人間を取り戻す。

「おい」

声をかけられた気がして頭上を振り仰ぐと、
開いた窓の向こうから、客人のプリーストが顔を出していた。
手を止めてどうしたのかと問えば、とりあえず服を着ろと言われる。
風呂の途中ではあったが、さすがに男相手に上半身を
さらしたまま会話するのもどうかと思い、
キルキシュがこっそり置いてくれていたらしい着替えを取り、簡単に纏う。
まだ綺麗なままの青い服。私の一番好きな色。
すぐに汚れるのが分かっていても、やはり心は浮き立つ。
風を少なからず遮断するその感覚の度に、それに僅かでなく安堵する度に、
ざまぁみろ狼め、私はまだ人間だと笑った。

「で、私に何か?」
「ジオ狩らせてやる。五分で準備しろ」
「…………はい?」

何を言われたのか、咄嗟に理解できる枠を大幅に飛び越えた答えが返ってきた。
狩り? ジオ? 何の話だと必死に考えている間にも、
相手の眉間にしわが寄っていく。
静かに、しかしそれは穏やかとはとても言えない、
低く抑えつけたような声が飛ぶまで、たった数秒。

「さっさとしやがれ。俺に二度同じことを言わせる気か」
「え、あ、その……待っ」

世の中いろんな人がいる。
話には聞いていたが、私は今日初めて、
スルア以上に僧服と十字架が似合わない人間を見た。
ダメだ勝てない逆らうなと本能が警鐘を鳴らし、
言われるままに胸当てや肘当てなどをガチャガチャと身に着けていく。
普通にやっても多少の時間はかかるのに、
焦った指は何度も留め金の上を滑ってしまう。
そうこうしている内に、玄関の戸が開く音。
続いて湿った土を踏みしめる音が近づいてくる。
実害がありそうな分、ホラー映画よりもよっぽど恐ろしい。

「めんどくせぇ、もういいだろ準備出来てるな」
「ちょ、まだ二分も経ってないって!
 つか何、貴方の脳内でどんな珍現象が起こってそうなったんだ!?」

私より頭一つ分は確実にデカイ生き物が姿を現す。
その身長よりも、自然に垂れ流しているらしい威圧感の方に血の気が引いた。
一体どんな人生送ってきたんだろうこの男。
命の危機を感じつつ後退るが、数歩下がったところで囲いに背をぶつけてしまう。
視線が、相手の目から逸らせない。動けない。
食われる一秒前の蛙とかそんな気分。
悠々と間合いを詰めてきた僧侶に襟首を掴まれる段になって、
ようやく出来損ないの脳みそが動き出す。
狩りに行くにしても、武器がない。衣服だけはかろうじて整えたものの、
刃物はガタガタ、弓を使うにしたって倉庫の中だ。
私を捕らえていない方の手が地面に向けてかざされ、白光が生み出される。
光陣から噴き上がる風が、濡れた髪を嬲ってゆく。
時間がない。
がらんと重い金属が震えるのを聞きとめて、相手の姿も見ないままに叫ぶ。

「……っ! キシュ!!」

同時に飛来した細長い包みを掴み取った。
手のひらから伝わる、弓と、矢筒と、束になった矢の感触。
懐かしい重みへの感慨に浸る間も与えられず、
そんな金をどこから出したと疑う暇すらもなく、私は光の渦の中に放り込まれた。
文字通り、ぽいっと。



投擲した弓袋がレジュの手の中に納まった途端、一気に力が抜ける。
その場に膝をついた。
武器が間に合ったことも、ヒナギが動いてくれたことも、
経過を無視すれば、ほとんど希望通りの結果ではある。
隣に立つハンターは現状を見抜いた上で心底面白がっているらしく、
歪めた口元を煙草を挟んだ指で覆い隠している。
ヒナギを丸め込もうとする気概のある奴は珍しいと言われて、
何のことか分かりませんねと答えておいた。
本人に意図がバレた、すなわち実質失敗したも同然の策を揶揄されれば、
不機嫌にもなる。その上で茶番に付き合ってくれたのだから、
あのプリーストも相当性格が悪い。
人の自尊心を踏み砕くのが趣味なのかとすら勘繰ってしまう。
ぶすくれた自分の顔はすぐには戻せそうもなく、
「矢代は、後ほど」と告げるのみにとどめる。
矢を分けてくれた相手に、本来ヒナギにぶつけるべきだった
悪態を吐くわけにもいかない。

「あんま気にすんな……つって、引き下がるような顔じゃねーな」
「こういう性分なもので。
 ああ現金がお嫌なら、毎日花束の配達でもしましょうか?」
「完済するまでに何十年かかんだ……金でいーよ」
「私としてはどちらでも良かったんですけどね。
 首都通いは辛いですが、毎日ユザサさんに会えますし」
「俺が家にいない日はどーすんだ?」
「ドアの前に立てかけて帰ります」
「ヤメロ。縁起でもねー……」
「それは残念」

はぐらかして誤魔化して、自分の調子を取り戻せれば、
隣が誰であろうと、同じように振舞える。
未だ残る不満を振るい落とすように、立ち上がって一つ伸びをした。

「そういえば、ユザサさんとはお久しぶりですね。
 他の御二方は存じませんが」

知り合いではなかったことも付け加えると、
目が僅かに見開かれ、すぐに得心がいったらしく静けさを取り戻す。

「……ここに住んでりゃ、俺の顔くらい知ってるか」
「一度だけ、貴方の射も」

彼の吐き出した煙が上方に消え行く。
かつて、たった一度だけ見かけた横顔が、
今現在すぐ近くに存在することが不思議だった。
綺麗な人だと思う。
鏃の埋め込まれる先を見据えて、迷い無く矢を放てる人だ。

「憧れました」

彼のようになりたかった、彼のようにはなれなかった。
後悔はしていなくても、未練は残る。
離れることで見えた世界は貴重だったが、
まだこの目を追うことのできるレジュが、正直言って羨ましい。

「そりゃ光栄」

見上げた横顔。伏せた瞼、薄く笑んだ形を刻む口元。
重なる面影。重ならない表情と、纏う空気。
悔しいよ、レジュ。



転移した先には、赤い砂と岩肌が目立つ荒地が広がっていた。
風に乗ってかすかに届く、鉄のにおい。
岩の隙間に生えた苔と草とを踏んで少し歩けば、
鉄柵の向こうに線路が引いてある場所に出る。
迷いなく線路の上を進む黒い僧衣の背を、小走りに追う。
持ち慣れない弓と、重みを伝える矢筒が、
背でがちゃがちゃとせわしなく鳴っている。
あまりにも現実離れしている現実。
夢だと思った。頬をつねるまでもなく現実だと理解していても、
なおこれは夢だろうと思った。

「えっと、ヒナギ、さん?
 その、壁って、やってもらったコト無いから、分からないんだが……
 その、良かったのか?」

考えごとをしている間に開いてしまった距離を埋めようと急ぎ、
気づけばその背に声をかけていた。
そして、後悔する。スルアじゃあるまいし、
もう少し分かりやすい言い方もあったろうに。

「嫌なら置いて帰るが?」

何語かも怪しい言葉を一蹴し、立ち止まりすらせずにヒナギは先へ進んでいく。

「いや……助かる、んだ、けど」

怒らせただろうか。
そもそもこんな面倒な仕事、成り行きとはいえあまり楽しいことじゃないだろうに。
多分、キルキシュに何か言われて来たんだろう。
付き合ってもらってるのはありがたいが、その分ひどく申し訳ない。

「くだらんことを考えてるヒマがあったらさっさと構えろ、撃て」

不意にかけられた声に顔を上げれば、咥えた煙草に火をつける姿。
彼のすぐ傍に生えているのは、頼りなさそうに風に揺れる、
それでも私程度なら一撃で食い殺すだろう食人植物。
何度か目を瞬いて、ヒナギの顔を視界に入れた。
整った顔立ちからは怒気は感じられない。見るかぎり、
不機嫌、な雰囲気でもなさそうだ。
いずれにせよ、せっかくの好意……らしき何かを、無駄にするわけにもいかない。
ここまで連れて来てくれた事実を、信用してみよう。

「あぁ」

久方ぶりに矢をつがえ、弦をぎりと引き絞る。
風を裂く、音。



「で、なんで俺がこんな危険児の子守なんぞせなならんねん……」

ヒナギが出て行った直後に走り出たキルキシュと、
煙草が切れたとその後に続いたユザサを前に、スガメはうなだれていた。
二人一緒に戻ってきた挙句、今度は大袋を持ち出して、
留守を頼むと同時に言われれば、普通はヘコむ。
 無謀だとは思いつつもスガメは理由を聞いてみた。

「私が倉庫に行くからで、スルアは時々失踪しては破壊した
 家屋の修理費請求書を最低二枚はもらって帰ってくるからです」
「お前の方が気に入られてるみてーだしな。襲うんじゃねーぞ。
 あとその辺の物漁ったりもすんな」
「あ、そっちは大丈夫です。
 盗られて困る物しかありませんが、盗って得になるような物もありません」
「盗らへんわ!それと、誰が年端もいかんガキ犯るか!むしろ襲われるわ!」
「ほー、随分とマニアックな趣味だなロリコン野郎、精々可愛がってもらえよ」
「それではスガメさん、愚妹をよろしくおねがいします」

やはり反論はほとんど許されず、木製の戸は容赦なく閉ざされる。
嘆息したその頭を、立ち上がったスルアがあやすように叩いた。
上下にガクガクと揺れ動くスガメの頭。
慰めている風ではあるが、思いやりや手加減といったものは微塵も存在していない。
悪意も全く存在していないのだが。

「スガメはロリコンなのか?」

ふと、無意識の虐待を行っていた手を止め、思いついたようにスルアが問う。
言葉と理解力の足りない修道士と、相手の言語能力を
測りかねている暗殺者の視線が交錯する。
一種、異様な光景だった。

「お前は意味分かって言うとんのかいな……」

発言がいちいち危ないのは親代わりの奴の影響だろうかと、
スガメはバトルアックスを抱えた商人の顔を思い浮かべる。
普段、彼が聞くものとは方向性と傾向の違う、嫌味と皮肉。
そんなののすぐ傍では、まともな神経に育つはずも無い。
それは今彼の目の前にいる修道士が全身で証明している。

「レジュが言ってた。
 『スルアを襲うよーな変態ロリコン野郎共には何発でもぶち込め。私が許す』って」
「ここの一族は皆そんなんか!」
「聞きたいんだが、スガメのどこに何をぶち込めば良い?
 武器なら断るぞ、私は身内と恩人は大事にする」

長い溜息と一緒に気も抜けて、困惑気味に己をじっと凝視する修道士を見上げた。
あの商人とも弓手とも似ていない顔に向けて、スガメは無難な答えを一つ放る。

「……間違うても、よそでそんな話すんなや?」
「分かった」

首を傾げつつ、まだよく分かっていないような顔で、スルアはこくりと頷く。

「スガメにならいーんだな」

今度こそ、スガメは頭を抱えて「帰りたいわ……」と呟いた。



戦利品の一部は倉庫に入れ、その場で売れるものは売り払う。
泣きたくなるくらいに単純作業で、いつも眠くなってくるのだが、
今回は会話相手がいるのでむしろ楽しい。
お互いの友人知人腐れ縁など話しながら、ゼロピーの処分に悩んでいると、
不意に肩を叩かれた。
狩りが長引きそうだとヒナギから連絡が入ったようで、
そんなに長時間付き合ってもらえるとは思わず、そこは素直に感動する。

「つまり、レジュは今日帰ってこないと考えた方が良いと」
「そうなるだろうな。……心配しねーのか?」

艶っぽい意味合いのことが理由で帰ってこないように
なったとしたら、それはむしろ喜ばしいことだろう。
スルアや私のためと言いながら、森の中で泥まみれになっているよりは、ずっと。
しかし、レジュの性格を考えれば、やっぱり無理だろうなとも思う。
悩んだ挙句、ゼロピーは倉庫に収まった。
明日にでも赤ポーションと交換しに行こう。

「三日四日は当然のごとく家を空ける子です、
 いちいち心配していたら身が保ちません」
「思ったより薄情だな。ヒナギとのやり取りの後とは思えねぇ」
「……負けたことが心底悔やまれます」

ムキになっていた自覚はある。相手がプリーストだったのも良くなかった。
最初に私を騙した相手と同じ僧服。坊主憎けりゃとは言うが、
まさか自分に適用されるとは。
送ると言われて信じてみれば、見知らぬ土地に放り出されて地を這わされたあの日。
最大限の屈辱を思い出していると、ついうっかり力が入ってしまったのか、
手にした空きビンに幾筋かのヒビが入った。

「案外血の気多いよな、お前……」

カッターだけでよくもここまで粘ったもんだとうちの弓手に感心しながら、
再び袋の中に手を突っ込む。
奇しくも次に転がり出てきたのはレッドブラッドで、
このタイミングは出来すぎだろうと内心笑いながら、これも倉庫に投げ入れた。

「私は平和主義者ですよ。でも、どうせヤるなら勝ちたいでしょう?」
「そういうのは平和主義とは言わねーはずだ」
「言葉は難しいですね」

かと言って、言葉を使わないわけにもいかない。
それは身内の見えないぎこちなさからもよく分かる。
動いている物を正しく射かけられるほどの腕が無い、と、
一人分増えた食費のために刃を握ったレジュ。
いつからか、レジュがいない日に限って、
たどたどしい手つきで弓の手入れをするようになったスルア。
傍で見ているだけなら、ただ愚かしいと切り捨てられる、
飼い主と拾われ子の関係性。
それでもあの二人から離れようと思えないのは。

「さて、終わりました。……帰りましょうか」

あの家を、帰る場所だと言えるのは。



「…………何やってんだ、お前ら」
「ユザサ……どないしょ、コレ」

からりと戸を開けて、一番最初に目に飛び込んできたのは……亀の親子。
うつぶせに倒れたスガメの背に、さらにスルアが伏せている。
どういう遊びをしたらこういう体勢になるのか、心底不思議だ。
 隣に立つユザサを見上げれば、何故かその片手が一本の矢を取っている。

「少し見なかった間に随分と仲良しじゃねーか。
 誰だ襲わないとか言ってた嘘製造機は。
 上等だ、閻魔大王に舌引っこ抜くよう嘆願書出しといてやるから即座に逝ってこいケダモノ」

よどみなく引かれる強い弓。
スガメの眉間に鏃の先端が触れる。

「ちょ、よう見てや、俺何か出来る姿勢ちゃうやろ!
 つかゼロ距離射撃は当たる! 死ぬ!」

立ち上がるだけで上の物は落とせるだろうに、
横に転がれば初撃からは逃れられるのに、なんというか……律儀な人だ。
のんびり靴を脱いでいたらアサシンが撃たれてしまうので、
土足のまま家に上がって擬似コバンザメを引っぺがした。
背後で小さな舌打ちが聞こえたのは気のせいだと信じたい。

「遊んでもらったお礼、ちゃんと言った?」
「言ったぞ! 『スルアを弄んでくれてありがとう』、だろ?」

教えた通りのセリフを恥ずかしげもなく言い放つスルア。
あらゆる意味で将来が楽しみだ。
もっとも、レジュにバレた途端に修正が加えられてしまうのだろうが。

「……アンタも変な知識植えつけんなや」
「間違ってはいませんよ?」
「正しくもないわ!!」

そうして緩やかに太陽は赤く染まっていき、賑やかな非日常は幕を下ろし始める。






『ヒナギー、俺ら先帰るけど。そっちどないなっとるん?』
「ああ、今終わったトコロだ。明日には帰る」
『……一応聞いて良え? 何が終わったんや?』
「聞きたいか?」

相手の皮肉気な声音に嫌な予感を覚え、やっぱ止めとくわとWISを切る。
前を行くユザサの背をぼんやりと眺めながら、懐に手を入れて煙草を探った。
爪の先に、硬質の感触。
普通のそれよりも大きなゼロピーが指先の熱をひやりと奪い、
これを半ば強引に押し付けた修道士の顔を思い出した。
散々な日やったなと呟いて、笑う。

 

 

 

 

小さな親切、大きな災難

 

 

 

 

 

アプするのが遅れて御免!と先に謝っておきます、誕生日プレゼントに
[ Lily-of-the-Incas ] の霧無夢姫ちゃんから頂きましたRO SSです有難う!!
いやもうこれSSじゃない気が…ちょっと真似出来ない長さでくれてマジ吃驚。
彼方のキャラとウチのキャラを交えて書いてくれる、と仰ってくれたんで
一緒にROプレイしたんですが、そのエピソードとかメッセの会話が入ってるのが
小憎い感じです。つかウチの連中と思えない程カッコイイ、特にユザサが。
スガメもヒナギもスゲーまんま書いてくれてて、見ててくれてんだなーと感動。
個人的にはヒナギが風呂覗いたトコが好きです。お前自重しろ。

ジャンル違うのに有難うー!これから其方で彼女達が活躍するの楽しみにしてる!